愛犬 ルーク号♂
2010年11月2日、最愛の息子ルークを、憎っくき血管肉腫によってアッというまに失いました。
吉祥寺のペットショップにて、どうしても一所に遊んでくれる元気な男の子が欲しくてw
衝動買いをしてきた珠の様に可愛い男の子でありましたヽU*´д`*Uノ
最初、飼い主の素晴らしいひらめきとセンスで!!
ゴールデンだから!!デンスケ!!と名付けるものの・・・

(生後約35日で我が家へやってきた日のルーク)
こんなに可愛いのにデンスケなんて可哀想だ!!とかw
えええええ!!デンスケー!!??可笑しいよーーー!!だとかw
挙句には嫁にまで「デンスケ!!」なんて恥ずかしくて大声で呼べないよ!!などなど・・・
近所の住人の皆様の猛反発を受け・・・
当時、第二のスターウォーズブームの煽りも受けて、じゃ~カッコイイヤツ!!!て事でw
ジェダイの騎士、ルークスカイウォーカーから取って「ルーク」と命名しました。
2010年3月末、8年間過ごしてきた多摩川近くから、今の東高根森林公園の近くへお引越しをしました。
その時、新しい近隣のワンコ連れの方々にルークとリオの自己紹介などをしながら廻っていると、
「ルークくんとリオちゃんか~カッコイイ名前は中々覚えられないな~」などと言われw
ルークの幼名「デンスケ」の話になり、「え~~デンスケちゃん!!いいじゃん!!」
「どうしてデンスケにしなかったの!?」などといわれ(爆)
改めて私のひらめきとセンスは!!間違っては居なかった!!と強く悔いる事となったのですヽU*´д`*Uノ
その後も、ルークは・・・「え~と、誰ちゃんだっけ?」「あ~デンスケデンスケ!!」
「デンスケのルークちゃんね!」と・・・ある意味デンスケは公園でルークの通り名となったのでした(爆)
新居へ移った約8ヵ月後・・・ルークは星になった・・・
結局、新しい土地で馴染む前に、余命宣告を受けた二日後・・・あっというまに居なくなった・・・
まだまだ沢山してあげたい事があった。まだまだ連れて行ってあげたい所もあった。
ルークが富士山デビューをしたのは5歳くらいの時でした。リオは3歳。

それまで、ただなんとなく地方のドッグランへいったり、観光するくらいで、
共に成し得る!みたいな目標はありませんでした。
まぁ~一度くらいは富士山へ行ってみるか~などと考えて連れてきた富士山で、
ルークとリオは、いままで見せた事の無いくらい嬉しそうな表情をしてくれました。

そんなに嬉しいのなら、また連れて来てやるか!^^
何時しかそれは、共に富士山頂を目指すという犬と私の目標になりました。

2年ほど登山の経験を積んだ私たちは、五合目から富士山頂へ一度挑戦をしました。

しかし、私は登山家でも冒険家でもなく、ただの社会人でしたので、
犬達との登山は、そのまま私の経験でしかありませんでしたから、
経験不足、知識不足、準備不足も重なって、山頂を目前にしながら積雪に阻まれました。

挙句に、溶岩石による犬達の肉急の磨耗を甘く見て、ルークは肉球が磨り減って出血してしまいました。
山頂まであと1時間ほどを残して、無念の下山を決断しました。
頂上が見えていただけに、とても悔しかったですが・・・
無理に登っても、歩けなくなった犬達を担いで下山する事は不可能と考え、
もっともっと経験を積んで、何時の日かリベンジを!!と思いましたが、
ルークは旅立ってしまったので二度目はありませんでした・・・
でも、何かを成し得よう、目標、目指すところ、というのは、
犬達にも伝わっているのか!?解っているのか??
ルークの脚もリオの脚も、まだ上を向いていました。
2011年4月
ルークが星になって5ヵ月が過ぎました。
私はまだまだルーク・・・ルークぅぅぅ・・・となる日々を過ごしていました。
今度はリオが子宮蓄膿症になり、私は大切な家族を僅かな間にまた失ってしまうのかと酷く落ち込んでいました。
幸い一命は取りとめて、手術もその後の経過も順調で、
医師に「驚くべき回復力です!!」と言われ、リオはまた元気になってくれました。
そんな時、ブログのコメントを通して、沢山の方に励まされたのですが、
伝助の里の
さん太ママ さんもその中のお一人です。
その後、ブログを通してお知り合いになり、その年の秋頃のヒートで、
愛犬のQちゃんとナツちゃんの交配を考えているとのお話を知ったのです。
アホ話し2011年7月吉日、まだまだルークが私の側でうろついている感の残る日々を過ごしていました。
来月はもうお盆か~などと思い、
Qちゃんナツちゃんの仔が生まれたら里親の名乗りを上げようかな~なんて考えて、
仕事から帰りクーラーのしたで涼んでごろ寝していると、
私の右脇に・・・ルークが伏せていた@@!
私はパニックした!!またリオと見間違えか!?などとリビングへ目をやると、
リオはとなりの部屋でごろ寝していた@@!
私はハッ!となって飛び起きた!!するとルークは消えてしまった・・・・
あれは寝ぼけていたのだろうか・・・それとも・・・私の意思を確かめに来たのだろうか・・・
ルークが最後の別れに私の下へやってきたのだろうか・・・
それ以降、まだ近くでうろついている感のあったルークの気配は私の許から消えた。。。
同時に、仔犬を迎えようかな~という気持ちが、ルークを失って空いた私の胸の穴を、
半分くらい埋めてくれたような気がした・・・
2011年12月中旬 Qちゃんとなっちゃんの交配の子達は順調で、年末にも生まれそうだとの事でした。
私は一番最初に名乗りをあげたものの、何匹生まれるか解らない仔の中から、
どの仔!?と決める事をずっと考えていた。
希望は元気な男の子である。
しかし、生まれても皆可愛いからから選べないだろうし、
男の子が生まれなかったらどうしよう~とかw男の子が生まれなかったら縁が無いと思って諦めようとかw
男の子が沢山生まれても選べないだろうから、縁あって最後に残った男の子にしよう~とかw
勝手に色々と考えていたヽU*´д`*Uノ
そんなある日、ブログで生まれた仔犬につけるリボンが紹介されていた。
![20111205114323916[1]](https://blog-imgs-12-origin.fc2.com/l/u/k/lukerio0918/201204011425319f2.jpg)
まだ何匹生まれるか解っても居ないのにw10本のリボンが用意されていた。
でも~私はそれを見て決める事ができた。
故ルークがまだ仔犬の頃、青白い光りを放っていたのを思い出し、
縁あって、あの水色のリボンを付けた仔!!と決めました。
これは、さん太ママさんにも当日まで黙って置く事にしました。
優柔不断な私は決められないのでそうしましたw
そして、水色のリボンを付けた子が居なかったら・・・・
そしたら~緑かな?よし!水色が居なかったら緑のリボンを付けた仔に・・・
そこまで考えてやめましたwあとは・・・運と・・縁の結びつきだけである。
名前は既に決まっていました。故ルークの幼名
「伝助」と・・・
ルークの幼名は「デンスケ」でしたが、
今回は活字にしました。そのままですが「伝え」「助ける」という意味です。
2011年12月26日仔犬が生まれる![20111227185737f27[1]](https://blog-imgs-12-origin.fc2.com/l/u/k/lukerio0918/20120401142518466.jpg)
さん太ママさんのブログにて、無事に10頭の仔犬が7男3女で生まれたと報告があった。
私は夕刻、早速お祝いのお電話を差し上げました。
そして・・・「水色のリボンの仔はいますか?」と唐突に尋ねると、
ちょっと拍子抜けした感じでしたがw
「はい!水色?ライトブルーかな?一番最初に生まれた元気な男の子です!」
ちなみに緑色のリボンの仔は、未熟児で160gしか無く、
半分諦め気味で、様子を見ながらさん太家で大切に育てていくとの事でした。
この時点で、迷い無くはっきりと7男3女の長男として生まれた水色のリボンを付けた仔が、
我が家へやってくる「伝助」ときまりました。
私は毎日祈っていました。
ルークが今度生まれ変わってくる時は、
脚も痛くない、癌も無い、元気で丈夫な体で生まれ変わってきますようにと・・・
ただただそれだけを切に願っていますと・・・
2012年1月7日 初夢 アホ話をもう一つ
新しい年を迎えて、初めて見た夢は1月7日であった。(忘れないようにメモに残してあるw)
これを初夢というのかは解りませんがw
「伝助~伝助~」と真っ暗闇の中で呼んでいる私の前に、
突然!丸顔の大きなゴールデンが現れて!!「僕はルークだ!!」と不安げな顔で私に言った。
私は「ぬおおお!!疑うものかーー!!お前はルークだあああああ!!!」と叫んだ!!(爆)
ただそれだけの夢である。。。
弱い飼い主の、だったらいいな~という想いが作り出した幻想の夢だったのだろうか・・・
伝助・・・お前はルークなのだろうか・・・
2012年3月31日 伝助のお里 神戸へ 
私の都合で伝助のお迎えを、ある程度大きくなってからにしていただき、
一番最初に生まれた伝助は、一番最後のお迎えとなりました。
伝助は、生まれた時から既に伝助と呼んでいただいていたので、もう自分の名前をしっかり覚えているとか^^
産声を上げてから約3ヶ月、一所に生まれ育った弟姉妹達は、既に他の里親さんの下へ旅立っていきました。
当日私は夜勤でw深夜2時頃仕事を切り上げて、出発の用意をしました。
一週間前に予約したレンタカーは、車を取りに行くと、
やれ制約がとか、シートを汚したらだとか、規約を沢山付けられてw
物凄い額になりwなおかつ念を押されて頭にキタのでw
「もういいよ!いらない!!」と言って断りました(爆)
なので、仕事に使っているボロ車でw片道560キロを迎えに走る事となりましたw
深夜4時30分出発!ナビを見る限り、順調に行けば約7時間半くらいで到着できそうな感じでしたが、
高速に乗り始めたあたりから大雨となり、睡魔よりも距離よりも、無事に辿り着けるかが課題なってきましたw

リオは富士山にでも向っているのかと思いwニコニコしながら助手席で前を見ていましたw
しか~し、今日は富士山へ行くよりも遥かに遠い兵庫県神戸です(爆)
途中10何キロの渋滞3回、休憩3回を挟みながら、ただひたすら伝助の下へ走りました。
リオは富士山を過ぎたあたりから様子が違うのを感じたのか??
諦めて寝ていましたw3回の休憩でしっかりと3本のウンコをしていましたw

カーナビだけを頼りに、約10時間掛けて560キロの道のりをなんとかw
無事さん太家へ辿り着く事ができましたヾU*・ェ・*Uゝ
一度も迷う事無く~近所まで来たら~直ぐにさん太くんの看板が目に入りました!!
いや~しかし~走ってから気付くのもなんなんですが~片道560キロ!!
日帰りで走る距離ではありませんヽU*´д`*Uノ(爆)
晴れたり土砂降りになったり、あと15分で着くと思った頃には豹まで降って来ましたヽU*´д`*Uノ
到着して直ぐに、ご近所からもレイくんママさんと陸くんママさんも駆け付けて下さいましたヾU*・ェ・*Uゝ
娘さんが伝助を抱っこして、私の下へ連れてきてくださり、
受け取った私は早速伝助に顔をペロペロと沢山嘗め回される歓迎を受けましたw

(さん太家にて 左 母犬 なっちゃん 右 レイくん)

(父犬 Qちゃん)

(突然の大家族にうろたえるリオ)

(Q・・・・ちゃんw)

(兄弟犬 陸くん)

夕方には雨も止んだので、記念にみんなでお散歩へ行く事になりました。

恐らく今後二度目はあるか無いかのとっても記念のお散歩です。

私も約1年4ヶ月ぶりの2頭連れの散歩でした。
リオは嫌がるかと思ったのですが、とても自然に伝助と歩いてくれました。
到着当初、Qちゃんとレイくんに対して警戒し唸り声を上げていましたが、
一所のお散歩で随分距離が縮まったのか?帰宅後は仲良くなれました。

しかし~Qちゃん!!デカイ!!∑⊂*゜д゜*⊃!!(爆)
なっちゃんの小ささには驚きました。
家のリオよりも小柄だったとは・・・あの体で10頭無事に生んで育てたってのだから驚きです!!
ご家族みんなの協力のたまものですね!!恐れ入りましたヽU*´д`*Uノ
つのる話も沢山あったのですが~3時間ほどお邪魔させていただいて、
用意していただいたイチゴのほとんどをリオが平らげ(爆)帰宅する事にしました。

見送るご家族の姿が見えなくなってから、
伝助は5分ほどお里の方を見て「ピーピー」と泣いていました。
心配された車の道中ですが、伝助は不思議と当たり前の様に私の座席の真後ろでずっと大人しく寝ていました。
リオも疲れたのか、ずっと寝ていました。

自分のトイレの為に寄ったサービスエリアの駐車場で、
放れる事をちょっと心配したのですが、
戻ってみるとこんな感じで私を探して前に並んで座っていました。
私は泣きそうになりました。
1年4ヶ月前・・・ルークとリオの時と同じだったからです。
深夜1時30分 自宅到着 18:30頃神戸のさん太家を出発して約7時間でスムーズに帰宅する事ができました。
道中リオも伝助も、ムクッと起き上がっても、ただ寝ている方向を変えるだけでw
ず~~~~と!寝ていました!!!(爆)
心配した嘔吐やウン○も、はたまたシッコも、まったくしないままひたすら寝ていましたw
到着と同時に伝助は吐きましたがwそれでもたいしたもんです!!
仔犬ってこんなに大人しいものだったろうか???
とにかく家へ入ってからも伝助は、ただ自分の新しい住処を一通り軽く眺めたあと、
迷い無くベッドへ上がって行きました@@!
私も36時間近くwほぼ不眠状態だったので疲れと睡魔がどっと襲ってきて、
リオと伝助に軽くフードを食べさせた後、伝助に「トイレはここね」と言って眠りに着きました。
例え寝ている間に部屋が荒れていようとも、とにかく今日は疲れた~と思い、
明日の事は明日考えよう~と・・・寝ましたzzz

(到着時の伝助)
最後に さん太家のみなさん!!
この仔に合わせてくれてありがとう!!
命ある限り この仔と共に
これまでとこれからを伝え
私の心の穴の痛みは この仔によって埋まり助けられました。
「伝助」の里親にしてくださり
本当にほんとうにありがとう御座いました。 2012.4.1 いぬまる